2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧
とらねこさんからのリクエストにお答えして、平倉・板沢周辺の熊野神社ということで、板沢の駒形神社の南東にある熊野神社をアップ。この神社の側には、元JAとおのの組合長をされた方のお宅があるが、熊野神社の管理者はご多分にもれず、菊池さんである。 例…
上郷町平倉は曹源寺の南側山伝いの繋(つなぎ)地区にある。この地域は、小時田姓の2軒を除く全てが菊池姓の集落である。薄暗い杉木立の石畳を登ると社が鎮座し、日中でも太陽の光が届き難く、周囲の石には苔が生えている。 ●由緒● 地頭福田氏が二戸郡鎮守の…
画像は、下組町はずれ新里愛宕神社。久しぶりに訪れると、ただでさえ、きつい石段が、ずれて、尋常では登れないほどになっていた。(その為なのか、階段下に仮の社が設えてあるのだが)階段を登りきると、空堀のようになった通路を通ってやっと神社に達する…
昨日、とらねこさんから教えて頂いた駒木伊豆権現に早速足を運ぶ。よくあることだが、この社の南側の道路は良く通るが、問題意識があるのと、そうでないのでは大きな違い。頭を深く下げながら参拝する。中にある御札には確かに明和の文字が見えた。とらねこ…
本業が忙しく、久しぶりのUP。我家の菩提寺は大工町の大慈寺だが、松崎町海上から同町光興寺に移り、現在地に落ち着く。八戸南部氏の菩提寺として一緒に移ってきており、清心尼公の墓も当初は海上にあったと言われている。大慈寺同様に善明寺も同町養安寺…
江戸時代の遠野における修験者の勢力争いは、本山派対熊野派ということを前回記したが、本山の大徳院に対して、熊野の頭巾頭のひとり「慈聖院」が本拠地としたのが、綾織町下綾織(光明寺猿ヶ石川向かい)。共同墓地隣接の杉林にその跡がある。この慈聖院は…
上宮守の三叉路角にサンQハウスがあり、その東側寺沢川ほとりの小高い丘にこの社がある。下宿(げしゅくではない)と呼ばれる地域に入るものと思われる。以前、近所を歩く人にあの神社は何かと尋ねると、○○○さんと呼んでいると答えられ、もう一度聞こうと話…
●羽黒対本山派● 遠野横田町八幡宮神子一ノ庭、代々羽黒神子ニテ八幡別当羽黒山伏良厳院、諸事支配引導等致来候、然拠ニ享保十年巳四月十日、右之神子一ノ庭病死仕候処ニ、本山年行事大徳院押込引導仕候得共、良厳院先前ヨリ支配之筋申候得ハ、還テ難題被申懸…
一如さんからお話のあった宮守の八株山にあるという駒形神社の捜索も未だ実行されないまま、小沢八幡の川向にある下村駒形神社でお茶を濁して・・・。いつもそうなのだが、あそこに社があると気がついていても、あと一歩が踏み出せない。ここもそんな一社。…
私のブログの最初にエントリーしたのが平野原2地割にある神明神社であるが、ここから南の山裾がとらねこさんが紹介している平野原館。その館跡の北西道路向かいにあるのがこの熊野神社。昨日仕事にて近所まで来たので、再度立ち寄る。そこで偶然お会いした…
小原六郎著「やさしい遠野旧事記」に新張にある熊野社は願主も勧請についてもわかりませんと記している。これを読んだ時、今はなくなった社が私の生活圏にあったんだなあという印象しかなかったのだが、先日「まつざき歴史ものがたり」を読んでいて、目を奪…