2007-01-01から1年間の記事一覧
今年もあと数日。何とか、ブログを続けることができたことに感謝。 変化のない日常・・・・今日の遠野。 冷え込んだ朝は、よく晴れる。早池峰も拝むことができる。とは云え、明日はプラスの予想。 附馬牛町安居台の白鳥も年越し準備。 寒さを気にせずに済む…
田中喜多美氏の「岩手山の信仰と修験」によると、 慶長8年(1603)10月、盛岡城主南部利直より、繋温泉の湯別当安楽坊に手作地給与の黒印状が与えられ、2日後の10月20日に、滴石村西根、大宮社の岩鷲山禰宜に手作地44石5斗1升を祈念として与えられている…
むがす、むがす、あったずもな~。遠野に傳勝寺(でんしょうじ)というお寺さんがあったんだど。 八戸から南部氏が村替えとなりやって来た以降のことを調べていると目にするお寺さん。今は無いのでピンとこないのであるが、頭の片隅に残っている名前である。…
岩手県気仙郡住田町の中心部にある世田米。ここに曹洞宗の寺がある。瑞川山満蔵寺。 立派な山門があり、元治元年(1864)の再建。棟梁は、気仙大工の松田氏。 山門両脇には、阿吽の仁王像。↓「あ~」 ↓「う~ん」 この寺は、もとは清水沢の榎木坂にあり、元…
●武田忠一郎● 遠祖は甲斐国より出て、南部氏一族九戸家の客分となる。功ありて軽米郡に移り、小軽米を名のる。紆余曲折ありて、小軽米源太左衛門信義は武田家遠野初代となる。宝暦13年(1763)~天保3年(1832)のこと。 八代軍右衛門信将(小源太と称す…
ブログを通じて知り合いとなった遠野在住の面々による忘年会?反省会?ご苦労会が、昨日、こっそりと行なわれた。残念ながら、飛び入りの新人さんはなかったが、例によって例の如く。 私自身、やっと一年を迎えた程度の新人ブロガーで、この席では、本来小さ…
江戸時代の遠野には、三ヶ寺として称される妙泉寺、東善寺、善応寺があったのはご存知のことと思うのだが、これらに続いて、よく登場するのは「成就院」である。 明治初年の地図では、鍋倉山の西側、現多賀神社の隣りとなっている。 ●自証山成就院世代由緒書…
本日の岩手日報に、青笹町糠前の弁天様についての記事が載っていた。社が改修されたとのこと。また、少し前の遠野遺産に、ここが認定されたことも思い出し、現地へ赴く。 これは、去年に撮った現地の様子。 社周辺は、草ぼうぼうで、まるで、物置にでもして…
先日、機会があって奥州市江刺区の「えさし郷土文化館」へと足をのばした。「えさし藤原の里」に隣接していながら、ここには入館したことがなかったのだが、清衡、慈覚大師縁の仏像を企画展示しているとのことで。 建物は近代的なデザインで、この地域の風景…
「早池峰山妙泉寺文書」所謂「宮本文書」を此の所、ず~と読んでいる。先週は、雪が降ったり、晴れたりと、どうもパッとしない天気だった。(下の写真は、11月22日のもの) 妙泉寺の由緒に興味があったのではなく、妙泉寺から、善応寺や東禅寺のこと、そして…
只今、調べ物中です。早池峰山妙泉寺の宮本氏は、明治3年?に神仏分離となるまで、大出に住んで居られたのか、それとも、現遠野小学校にあった妙泉寺に居られたのか。また、同じ三ヶ寺の東善寺と善応寺縁の方々がその後どうなったのか、その三ヶ寺の建物は…
先週末、市内をひと回りするついでに、高清水まで。 天気予報では、日曜は雪。 今年最後の雪のない風景かと思いながら。 そして、土曜の夜。古くからの友人の新宅祝いに御呼ばれして。続石は、遠野で店舗数売り上げ共№1のスーパーに勤める社長の片腕。 招か…
とうとう冬がすぐそこまでやってきた。天気予報では、日曜日に雪のマークが。仕事で、外にでると霊峰早池峰山には、白いものが見える。 先日、通行止めになる前に行ってみようと思い立ち、そばまで行ったのだが。 気持ち程度の雪があった。 荒川高原から、風…
30年ほど前の遠野には、茅葺屋根の建物が点在しており、遠野物語を彷彿させる風景が残っていたが、現在は、数えられるほどである。その茅葺の屋根が改修時期に入っていることを以前に紹介したわけだが、今回、このような屋根工事の先進地とも言える青森ま…
本来であれば、岩戸開きをやってから、余興的な大蛇を行なうのであろうが、限られた時間内でのことなので仕方なし。 気持ちを切り替えて「松迎」。先ほどお爺さんを演じていた胴元が笛を吹く。ベテレンの味とも感じられる音色。「松迎」はその名のとおり、新…
続いて 会場全体の照明を明るくして、「大蛇退治」。ご存知、須佐之男命の八俣大蛇退治のお話。日ノ本の国創り神話を一般大衆に広めるために、わかり易く神楽の演目にしたもののひとつ。 お爺さんとお婆さんと若い女性が出てきて、大蛇を退治してほしいとお…
昨晩遠野郷八幡宮「鳩集殿」において国指定重要無形文化財となっている岩手県宮古市の「黒森神楽」が上演された。 生憎の雨模様となったが、神社のご近所の方々を中心に、市内神楽保存会の関係者、そして、市外愛好者といった面々が集った。 遠野ブレンド関…
芸術の秋に続いて、スポーツの秋。子供達は、この時期何かと忙しいようだ。親はというと両親共に仕事の秋。劣性遺伝子を引き継いだ我が子は、学年&男女別の学内ロードレースに挑んだ。例年になく、学校の休憩時間にバッチリ練習したという本人の弁にチョッ…
齢と共に「食欲の秋」話題に興味をそそられるのだが、ここは正統派?として、まずは芸術の秋から。 遠野市民センターで2日に行なわれた市内小学校音楽祭。屋外では、出番前の児童が本番に備えて練習中。私にもこんな時代があったのかなあ~。小学生の頃の音…
久しぶりに市役所本庁舎へ。すると宮本医院の道路向いにあった建物が無くなっていた。いつ無くなったんだろうと職場の仲間に聞くと、先月の中ごろから解体が始まっていたとのこと。今日まで、この道を通っていなかったことにハッとする。 同じ想いかどうか不…
久しぶりの秋晴れの中、かねてより行って見たかった場所へ。 釜石のhanaさんが紹介していたこちら。 間違いなく、釜石の大橋だと思いつつも、なかなか行けず、今日になってしまった。だいぶ、葉が落ちていたが、きれいな黄色が待っていてくれた。行きも帰り…
青笹町踊鹿の新田開発に尽力した「百 専右衛門」とはいかなる人物だったのだろう。 ●天明2年(1782)、八戸内記(附馬牛八戸氏6代義覺)家中の祖父高橋甚兵衛の地行所に両親及び長男歌見と共に居たが、釜石に移り、父親は医を生業とした。 ●天明3年、釜石…
度々取り上げている「明和」年号。そして、またまた、青笹町中妻の観音堂。 遠野では、程洞稲荷、三社稲荷大明神、笹谷観音堂、達曽部駒形神社の石碑と「明和」年号が登場するのだが、遠野においては、飢饉前後のことであるとか芸能伝播などについてふれてい…
土渕町高室にある水光園。ここで、今、曲り家の屋根換えを行なっている。昭和55年に移築されてから、差し萱などしながら維持してきたが、限界状態となり、今回の工事となったようだ。 生憎の雨模様の中、進捗状況を見る見学会があった。 右側が古いもの、…
農作業が一段落すると、冬に備えて家を建てる仕事は慌しくなる。 十人十色とはよく言ったもので、住宅に対する思いはそれぞれ違う。そんな中、ひとつの建物が建ち始めている。 丸い棒はダボといい、柱と梁をつなぐのに用いる伝統工法のひとつ。 手前から奥に…
収穫の秋が過ぎると、来春までのんびりと過ごせるなら、それに越したことはないのだが、なぜかしら、私の仕事は、この時期が忙しい。 先週、所用にて、土渕町米通(コメドオリ)まで行く。まだ、秋深しとまではいっていない。 ハウスの向こうには、何回も撮…
●安永2年(1773)奉納絵● 安永元年、南部藩勘定所は遠野町内六度市の荷役銭を一駄30文から80文に引き上げたことから市への荷駄の数が減り、駄賃づけ業者は失業同然となり、さらには安永6年からは荷役銭問屋の免許を盛岡の商人に与えるに至った。これらの積…
江戸時代中期、宝暦13年(1763)編、「御領分社堂」なる本を元にした例の資料には、綾織の鵢崎村ぶんとして以下のようにある。 寺院:珍渓山長松寺 曹洞宗 横田村大慈寺末寺報恩寺支配 寺院持:秋葉大権現 長松寺 砂子沢 俗別当:虚空蔵~清四郎。熊野権現…
今年最後の公的な?行事としての青年部野球大会が日曜日開催された。個人事業主のもとで働く建築関係者が入っている国民健康保険の組合主催によるもの。 朝6時30分遠野を出発し、開催場所である南部富士見ハイツ隣接の球場へ。この看板の向こうに「ホテル…
花巻から遠野を結ぶ街道をかの宮沢賢治は「ぱっせん街道」と名づけた。(実のところ私は知らなかった・・・汗)その街道にある道の駅「みやもり」で、砥森神社の例祭に合わせて、イベントを行なっていた。 砥森神社への奉納が終わった郷土芸能一行は、かどか…